住蓮房古墳

先の 「京都 東山もみじウォーク」の法然院の項で記した
法然上人の弟子「住蓮房・安楽房」は、後鳥羽上皇の寵姫
「鈴虫姫・松虫姫」出家を認め剃髪します。
寵姫の出家は後鳥羽上皇の逆鱗にふれ「住蓮房・安楽房」は
死罪となり、その二人の供養塔が近江八幡市にあると知り、
先日訪ねました。

*住蓮房古墳 近江八幡市千僧供町(せんぞくちょう)
 元は5~7世紀頃の古墳だそうです。
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田んぼの中にポツンとあり、一目で古墳とわかりましたが、
辺りは誰もいなくて少し心細かったです。(-_-;)

*車を降り階段下まできたら、2基の供養塔が見えました。
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*2基の供養塔です。左・住蓮房、右・安楽房。
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住蓮房・安楽房の文字が微かに読み取れます。

前記事と重複しますが、法然上人の弟子で名高い人物は
親鸞聖人。同じく法然上人の弟子で「六時礼讃」を熱心に修道していた人物が「住蓮房・安楽房」です。
2人は京都の鹿ヶ谷に「鹿ヶ谷草庵」を結び、ここを拠点
として布教活動に励んでいました。

*安楽寺山門前 安楽寺山門②.jpg

当時の仏教は南都北嶺(法相宗・興福寺、天台宗・延暦寺)を
中心とした貴族仏教であり、広く民衆の救済を目的としてい
ませんでした。一方、東山に住む法然上人の教えはとてもわか
りやすく、これまでにない斬新なものとして幅広い階層に受け
入れられ、既存の教団(南都北嶺)にとっては厄介な存在に
なり、あらゆる手段でこの宗教を排除しようとしました。

*法然院紅葉
法然院もみじ修正.jpg

折も折「鈴虫姫・松虫姫」の出家で後鳥羽上皇が激怒され、
「住蓮房・安楽房」の不義を大義名分に、それぞれの弟子2人と
合わせて4人が死罪、法然上人と親鸞聖人は流罪になりました。
時に法然上人は75歳。赦面され1211年、京にお戻りになりまし
がその翌年、80歳の生涯を終えられました。
一方、35歳で流罪になった親鸞聖人は同じく1211年に赦免さ
れるも、直ぐには京にお戻りにならなかったそうです。

*法然院散紅葉
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さて、住蓮房・安楽房についてもう少し読み進んでいくと、
なぜ、二人の供養塔が近江八幡市にあるのかがわかりました。

当時の罪人(武士以外)の処刑は見せしめのため、出身地で
行うのが習わしで、住蓮房は通説ですが、今の千僧供町の出身
(伊勢の国の説もあります)だった事からそこで処刑されたと。
一方、京都出身の安楽房は六条河原で処刑されたそうです。

*住蓮房古墳の近くの紅葉した小高い山。およそ800年前
 の出来事が信じられないくらいのどかな風景です。
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江戸時代になり、処刑の地となった千僧供村の村人たちが
これを哀れみ、住蓮房・安楽房を弔うため供養塔を建立し
ました。(安楽房は亡くなる前に、住蓮房との合葬を望んでいた)
二人の供養塔、そのようないきさつがあったのですね。

なお、松虫姫19歳・鈴虫姫17歳で出家した二人は尾道市
の生口(いくち)島に移り住み、念仏三昧の余生を送り、
松虫姫35歳・鈴虫姫45才で生涯を閉じられたそうです。

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