聖徳太子の足跡めぐり Ⅰ

最近知ったのですが、聖徳太子にまつわる伝承が日本一多い
のは滋賀県で、なかでも東近江地域は特に多いそうです。
(東近江地域とは、琵琶湖の東側で、近江八幡市や旧の八日市市近辺)
太子がお開きになった、と、今なお語り継がれている近江
の社寺のうち、太子の伝承を色濃く残す11社寺をめぐる
『聖徳太子の足跡めぐり』を新聞で知り、3月5日、車で
最遠方のお寺さんから訪ねてみました。

*法輪山 正明寺(しょうみょうじ)黄檗宗 蒲生郡日野町
(最遠方と言ってもおよそ27km です。蒲生郡周辺は、
 額田王と大海人皇子の相聞歌の舞台と言われています)

*ここから参道へと進みます。正明寺説明.jpg

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*山門と筋塀。奥には本堂が見えます。
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*山門を本堂側から見ると、中央に宝珠・左右に鯱。
 黄檗宗の特徴です。
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*ちなみにこちらは、黄檗宗の大本山「萬福寺」の山門。令和2年11月撮影
萬福寺山門.jpg

*山門に掲げられている山号の扁額
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正明寺看板.jpg

さて、今年 2022年2月22日は、聖徳太子がお亡くなりに
なられて1400年目のご命日でした。これをきっかけに近江
の聖徳太子文化を訪ねてみませんか?と、昨年10月頃から
「聖徳太子の足跡めぐり」が始められ、来年末まで続きます。
『近江聖徳太子霊跡御朱印の授与』11社寺から授与されます。

*山門をくぐると檜皮葺の本堂(重文)
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唐破風造りのとても美しい本堂です。下記画像の唐招提寺や
三井寺の金堂とは様式が異なります。

*唐破風造りの向拝には菊のご紋が輝いていました。
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正明寺の本堂は、後水尾上皇から御所の清凉殿を下賜され
移築たもので「圓通殿」とも呼ばれます。

*国宝 唐招提寺金堂 奈良市 8世紀後半建立(令和3年10月撮影)
金堂唐招提寺.jpg

*国宝 三井寺金堂 大津市 1599年建立(平成27年10月撮影)
三井寺金堂.jpg

*「圓通殿」扁額。内陣に進みお参りしました。
 ご本尊は千手観音さま。(茶々の守り本尊です)
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通常は撮影禁止となっている内陣が多いなか、ここは、禁止の
貼り紙が無いので撮影させていただきましたが、境内と同じよ
うに何枚も撮る事は気が引けて撮れず。虎の子の1枚です。(笑)

聖徳太子.png

ところで、聖徳太子についてどんな事を知っている?と、
自問自答してみました。
一番に思い浮かべたのは「お札」千円・五千円・壱万円。
他は、一度に7・8人のお話しを聴く事ができる。
十七条の憲法制定「和を以て貴しとなす」←これだけ知っている。
馬小屋でお生まれになったと言う伝説。
父君は用明天皇・叔母君は推古天皇。推古天皇の摂政を務め
られた。私が知っているのはたったこれだけ。(-_-;)

*砂利を敷き詰めた美しい境内には禅堂が。
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 禅堂とは修行僧が集団生活を行い、修業に励むお堂です。

*経蔵や開山堂は禅堂の後方にありました。
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*開山堂 わかり辛くてm(__)m
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*斎堂前につるされた魚板。時刻の合図に叩く。
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       かなり年季が入っているようです。

*こちらは「萬福寺」(宇治市)の魚板(令和2年11月撮影)
魚板.jpg
  魚がくわえている丸い玉は煩悩を表し、魚の背を叩く事で、
   煩悩を吐き出させると言う意味合いがあるそうです。

推古天皇の御代に聖徳太子によって創建されたと伝えられる
正明寺。平安時代には天台宗の大寺院として栄えましたが、
戦国時代に戦火をうけて大半を焼失。その後、後水尾上皇の
勅願により再建後、黄檗宗に改宗となりました。
短く刈り整えられた植栽と白い砂利の境内はとても美しく
手入れされ、何度も訪れたくなる蒲生野のお寺さんです。

*正明寺 『近江聖徳太子霊跡』ご朱印。
正明寺ご朱印.jpg

*「聖徳太子の足跡めぐり」の地図です。彦根市は東近江地域
 より北部になります。5日はこの地図の11番・正明寺と10番・
 竜王観音禅寺(後日掲載)をお参りしました。
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