井伊直弼公と埋木舎

3月24日、穏やかな春の陽気に誘われ、彦根城のお堀沿いに
建つ「井伊大老」ゆかりの「埋木舎(うもれぎのや)」を
初めて見学させていただきました。

*直弼公が15年間お過ごしになった埋木舎の説明板と門。
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11代(数え方は諸説あり)藩主直中公の十四男として 1815年
(けやき)御殿で誕生した直弼公は、幸せな幼少時代を過ごし
すが、17歳の時に父君が逝去後は(時の藩主は兄の直亮公)
弟の直恭公と共に槻御殿を離れ、藩の掟に従い三百俵の捨扶持
中堀に面したこの屋敷に移り住みます。

*大名の兄弟の住まいとしては、大変質素な造りでした。
 (槻御殿はその名の通りケヤキで造られ、埋木舎はスギだそうです)
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兄弟たちが次々と養子に行くなか、他家を継ぐなどの機会に
恵まれなかった直弼公は20歳の時、日向延岡藩から養子の声が
かかり、弟の直恭公とともに江戸に向かいますが、選ばれたの
直恭公で、直弼公は失意の内に江戸を離れます。

      世の中をよそに見つつも埋れ木の
           埋もれておらむ心なき身は

   (ここで自分の人生が朽ちていく事はやむを得ないが、
                 己の心だけは決して埋もれない)

この歌は彦根に戻った頃に詠まれたらしく、
自らこの屋敷を「埋木舎」と名付けました。
            
*庭園とはほど遠い、単なる「庭」のようです。
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*豪華さはなく、大名の兄弟の住まいに思えない佇まい。
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直弼公は「茶、歌、ポン(鼓・能)」(ちゃ・か・ぽん)
あだ名あったが如く、茶道・和歌・能は達人の域で、
また、国学・書・禅などの他、武術・馬術など文武両道の
修練にここ埋木舎で励み、32歳の時に転機がおとずれます。

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1846年、兄の藩主直亮公の養嗣子の直元公(直中十一男)
が亡くなり、直弼公は埋木舎を出て江戸へ向かい、
兄直亮公の世子となります。その4年後の1850年に直亮公
の死去を受け、家督を継いで藩主となりました。
部屋住みの身分のまま生涯を閉じるのかと思っておられた
かどうかわかりませんが、直弼公は国を開き、近代の礎石
を築いた人物と言われるまで登りつめた人です。
人の運命はわからないものですね。

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*彦根城周辺も散策してきました。
 去年は「年々しんどくなる」と、記したこの坂。今年は
 「太郎坊宮&長命寺」を経験した後なので平気です?(^^;)
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*彦根城と琵琶湖。対岸の山には残雪があります。
IMG_9874.JPG    1604年7月に築城工事開始。完成は1622年です。

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*石垣の積み方も手法が色々あるそうですね。
 検索してみると、石垣大好きのブロガーが沢山おられ、
 メッチャ詳しくて、感心してばっかりです。(^^♪
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*天秤櫓の石垣
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*おまけ 馬屋
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*おまけ 梅林
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この場所は江戸時代、幕府の預かり米 5万石を収める米蔵が
17棟建っていた所です。
昭和25年に彦根城が「新日本観光地百選」に選ばれたのを
記念して、紅梅・白梅など約400本が植樹されました。

彦根地方気象台は先月31日にサクラの開花を発表し、
城内約1100本のサクラがお客様を迎えます。コロナ禍の
この時季、節度あるお花見を楽しみたいものです。

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