聖徳太子の足跡めぐり Ⅶ 信長公の焼き討ちに耐えたのに

最短・最速の梅雨明けで、連日6月の最高気温を更新
している日本列島、7月8月はどないなるのやろ?
と、案じていた時、東近江市の「百済寺(ひゃくさいじ)
の菩提樹の花が、この暑さで例年になく早く枯れ、散って
しまった、と言うニュースが流れ、これは一度、確かめて
こようと、翌朝(30日)ひとっ走り。
この猛暑なので早く(8時15分)出発し、8時35分到着。
(距離は14km・帰宅は買い物を済ませ11時頃)

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百済寺は「聖徳太子の足跡めぐり」の11社寺のうちの
ひとつであり、紅葉の美しい秋に訪れるつもりでしたが、
前倒しで拝観です。

百済寺  東近江市百済寺町にある天台宗の寺院
     山 号  釈迦山(釈迦山と言う山号は全国でここだけ)
     ご本尊  十一面観音立像 ( 聖徳太子作)
     創 建  聖徳太子の勅願により 606年創建。
          近江の国最古の寺院とされる。

*駐車場は広く、写真の倍以上はあります。
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*通用門
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受付を済ませ庭園へ・・・菩提樹、ありました。
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近づいてよく見ると・・・
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毎年、淡く黄色い花が1週間ほど楽しめるそうですが、
今年は3日足らずで花がしおれ、茶色く変色してしまい、
開花時期が猛暑と重なった事が影響しているのでは?と、
みられています。信長公の焼き討ちを乗り越えたのに
可哀想。今年の異常な暑さを物語っているようです。

*菩提樹の花 (ネットからお借りしました)
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百済寺は平安時代に天台宗に改宗し、比叡山の門徒として
300余りの塔頭を数え「湖東の小比叡」と呼ばれ、大いに
栄えるも、1573年、比叡山と対立した信長公の焼き討ちに
遭い、全山消失。(ご本尊は消失を免れました)
江戸時代に復興します。

菩提樹のあとは本堂へ
*緩やかな石段、これなら大丈夫と思いましたが。
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*でも、直ぐにこちらに躊躇なく変更。(笑)
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*緑がとても美しい。
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*10分余で仁王門に到着。
百済寺 016.JPG  長さ2.5mの大わらじ。触れると「身体健康・無病息災」の
  ご利益があるそうで、いっぱい触れてきました。(^^♪
  この大わらじは仁王さまがお履きになるそうです。

*本堂側から見る仁王門。
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*仁王像 (カラーの仁王さまにお目にかかるのは、薬師寺
      中門の二天王さま以来二度目と思います)
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*仁王門をくぐると直ぐに本堂です。
 その前に、百済寺は昔から有名だったのですね。
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*弁天さんの半夏生が美しく、涼を誘っています。百済寺 025 - コピー.JPG

*本堂 (重文 1650年完成 内部は撮影禁止)
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*千年菩提樹
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*鐘楼
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*百済寺御朱印
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「聖徳太子の足跡めぐり 百済寺」を読むと、御朱印紙の
中央の宝号印の蓮台の上には、太子の金言「以和為貴」を
頂きました。『和力 わりき』はコロナ禍後の難題に向かって
全員で総力を結集(和の力の大きさと方向)して解決しよう。
の意味です、と記されています。

*ちなみに、こちらは平成から令和に改元された当日朝に
 拝観していただいた御朱印です。
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*四半世紀前にいただいた御朱印。
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「植木観音」とは、聖徳太子が太郎坊から東の山中(百済寺方
 面)に瑞光をご覧になり、山中に分け入ると、上半分を切り
取られた杉の大木が立っていた。聞くと上半分の幹は百済
(くだら)の龍雲寺に運び込まれ「十一面観音」を作られたと
言うので、下半分の大木で観世音菩薩像を作り上げるよう指示
され、第一刀を入刀された。根の付いた大樹である事から
「植木観音」と言われています。