「信長公創建」と言うけれど・・・

信長公創建のお寺は、私は前記事の「浄厳院」と安土山の
「摠見寺 (そうけんじ)」しか知りません。
(摠見寺は安土城築城に合わせて安土山に建立した寺院)
何の知識もないので、ブログにアップするには
ネットを繰って繰って繰って結構手間要りです。(-_-;)

信長イラスト.png
手間要りゆえ、エエ加減に読んでいるわけではありませんが、
「浄厳院の本堂は近江八幡市の興隆寺から移築された」と、
書かれていても「そうなんや~」と、思ってそれで済ませて
いたところ「ご本尊の阿弥陀如来坐像は愛知(えち)郡から
移設された」その一節を読んだ時「えっ?ご本尊を移設とは、
元のお寺さん(檀家さんも)はどんな気持ちやったんやろ?」
と考えていると、「そう言えば、安土山の摠見寺の三重塔も
二王門も他所から移築」だった事を思い出しました。

*摠見寺 二王門 (重文)2018年8月撮影
 摠見寺建立の際、甲賀郡から移建したと記されています。
二王門説明.jpg

摠見寺二王門.jpg

検索していると興味深い文言が・・・安土城跡の調査では
「三重塔・鐘楼・鎮守社・拝殿など時代を異にする建物跡
発見され、境内堂塔のほぼ全てが甲賀郡を中心に近江の国
各地から移築された事が種々の記録からわかります」と。
今は、仁王門と三重塔しか残っていませんが「堂塔伽藍を
備えた寺院が城郭内に建てられているのは、後にも先にも
安土城だけです」とも記されていますが、他所からの寄せ
集めやね? それでも「信長公創建のお寺」ですね・・・

*摠見寺 三重塔 (重文)2019年1月撮影
摠見寺三重塔.jpg
室町時代の建物で、湖南市(旧甲賀郡の一部)の長寿寺
より1575~1576年頃に移築されました。(長寿寺本堂は国宝)

ちなみにですが、2019年1月の私のブログには
「今までに拝観した塔の中で、一番狭い敷地に無理に建立し
たような・・・手を伸ばせば屋根に届くと思うくらい・・」
と、記しています。写真の左下の石段が通路です。
実際は手は届きませんが。(笑)

移築とはいったいどう言う事?
元のお寺で維持・管理できないから信長公に託されたのか、
それとも信長公が強引に安土に持って来られたのか?

*安土築城時代より残っているのは「三重塔・仁王門」だけ。
二王門・三重塔看板 - コピー.jpg

近江のお寺は結構、信長公の焼き討ちに遭っているので、
「信長公創建のお寺」を2ヵ寺知り、信長公は焼き討ちだけ
ではないんや~創建もしてはるんや~と、少し好意的に見まし
たが、浄厳院本堂・ご本尊の阿弥陀如来坐像・摠見寺仁王門・
三重塔等が他所から移築・移設された事は、天下人の権力で
強引に安土に持って来たように思え、好意的にみれなくなり
ました。(-_-;) 移築の経緯・理由がわかるといいのですが。